リアリズムの学校抜粋

拙著「リアリズムの学校」の最初のところだけを以下に紹介します。この本は私(多田)の分身でもある三人の教師による教育鼎談です。380ページで、値段は1512円。出版社は表現社です。  

購入される場合は、『リアリズムの学校』は書店販売ですので、在庫がなければ書店取り寄せで買えます(配送料かかりません)。あとネット注文もできます。ネット注文は、いろんなサイトから注文できますが、Yahoo!Google等の検索サイトで、「ネット書店ジャングル」と入力してそのサイトの2号店に入り、そこから注文できます。二作目の『リアリズムの喫茶店』は通販限定の販売で、Yahoo!Googleの検索サイトで、多田亮三郎(ただりょうざぶろう)と入力して、リアリズムの喫茶店のサイト(amazonかアメージング出版のサイト)からamazonで注文すればすぐに届きます。 

 

                                         会社員から教師になって

 

多田 本日の鼎談は、公立高校で四十年近く働いてこられた両先生に生々しい職場体験を語っていただき、それをもとに学校の実像を浮かびあがらせたいというのが狙いですが、そうすることで現場の先生方の気分が少しでも晴れればという思いもあります。両先生が退職されたのはもう十年ほど前になりますが。

庄野 多田先生は今年退職したんですか。

多田 昭和五十二年に教師になり平成二十年に定年退職したんですが、その後四年間再任用教諭やってましたんで、今年の春にやっと自由の身になれました。

国方 要は三人の年金生活者が語るぶっちゃけ鼎談ですね。

庄野 まあいってみれば、長年連れ添った亭主に先立たれた奥さんが、亭主の実態を世間に公表するようなもんですか。

多田 大先輩である国方先生と庄野先生は昭和四十年頃から公立高校の教職につかれて、その間、お二人とも底辺校から進学校までいろんな学校に転勤され、退職直前まで担任もやられ、生活指導や教務や生徒会や保健や人権や総務や校外学習やPTAなどで活躍され、運動部や文化部のクラブ活動の顧問も熱心に続けられたとのこと。長い間御苦労さまでした。

国方 六十までやるつもりはなかったんですが、ついつい定年までやってしまったという感じ。庄野先生もそうでしょう。担任もやったし、きつい分掌もやったし、クラブ顧問も文化系から運動系までいろいろやったし、いろんな主担もやらされた。

庄野 給料をいただいてたんで仕事は人並みにこなしたつもりです。他の先生方に迷惑かけるといけないから。でも本当いうと、四十ぐらいでスパッとやめたかったなあ。結局たいした才能もなくて、他の稼ぎ口もないのでずるずると四十年近く続けて、気がつけば定年になってただけ。大半の教師がそうだと思いますよ。

国方 最近教師やめる人が増えたらしいけど。

多田 よくいわれてますが、実際にはめったにやめないですね。

国方 我々はいきなり教師だったけど、多田先生は回り道して教師になったんでしょう。何やってたんですか。

多田 教職に就く前は都内でサラリーマンやってました。当時は不景気で、大学院出ても全然仕事がなくて、仕方なく新聞の求人欄を見て不動産会社と小さな出版社に就職してそこで合計三年ほど働いてたんですが、不動産会社も出版社も社員は「渡り鳥」が多くてしょっちゅうやめてましたね。なかには一日でやめた人もいた。

国方 「渡り鳥」というのは何ですか。

多田 「渡り鳥」というのは業界用語でしょっちゅう転職する人のことで、英語だとジョブホッパーです。この「渡り鳥」にはけっこう優秀な人もいて、私のすぐとなりには一橋を出た元商社マンで英語とポルトガル語がぺらぺらの人がいました。彼はロスやリオで長いこと駐在してましたからね。しかし彼も数カ月で突如いなくなった。彼がやめても誰も何もいわないんです。「あ、そう」という感じで、やめることが自然というか、むしろやめることが憧れで、うまくやったな、という感じ。

国方 大企業だと「渡り鳥」はいないんでしょ。

多田 まずいないでしょう。大企業より落ちますが、地方公務員のしがない教師も、新聞広告で募集するような会社と比べたら待遇が悪いわけじゃないからまずやめない。やめると、なんで途中でやめたんだって皆が騒ぐ。教師がやめるというのは昔から事件なんですよ。世間からみたら吹けば飛ぶような事件だけど。

国方 学生時代に小さな会社でバイトやったことありますが、社員は仕事がきつかったみたいで文句ばかりいってました。多田先生は正社員だったんでノルマきつかったんじゃないですか。

多田 きつかったですね。院を出てから東中野の小さな不動産会社に就職して中古マンションや一戸建てを必死で売ってたんですが、全然売れませんでした。家が売れると会社の社員黒板に造花の赤いバラがつくんですが、私の名前にはいつまでたってもバラの花がつかなくて、格好悪いし、他人のマージンで食ってるという負い目もあって、半年ちょっとで辞めました。半年もやって一軒の物件も売れなかったのは結局私だけでした。

国方 出版社はよかったんじゃないですか。

多田 出版社といっても業界誌というか、日本橋にあるマーケティングリサーチの小さな会社で、毎日電話かけまくって将来売れるような商品の情報をまとめて一冊十万円ほどの冊子にして都内の一部上場企業の企画部に売りにいく仕事でしたけど、あまり売れませんでしたね。こちらも二年ちょっとで辞めました。社長はいい人で、担当のボスも優秀で、同僚もよくて、全然悪い会社じゃなかったんですが。

国方 ものを売るっていうのは大変なんだ。

多田 大変でした。だからものを売らなくても給料もらえるような仕事が絶対いいって思ってましたね。だったら公立高校の先生がいいかなと。

庄野 ノルマがなく長期の休みがとれて、個人プレーができて、男女差や年齢差がなく平等で、世間では若造でも先生とかいってくれて、退職するまでお山の大将でいられるのは教師ぐらいじゃないかと誰でも思いますよね。私も公立高校の教師はいいと思ってました。私立だといろいろ尻たたかれるからやっぱり公立がいいと。実際にやってみるとそれほど甘くなかったですが。最近では「世間の目があるから」とかいって締め付けもきつくなったし。

多田 たしかに昔と違って最近では夏休みも自由にとれなくなったのは事実ですね。給料いただいてるんで当然といえば当然ですが。

国方 休むなら有休とれといわれるけど夏休みで有休とったら年間二十日の有給休暇はあっというまに消えてしまう。昔の教頭は、教師が出した有休届けの用紙を目の前で全部破ってくれたけど、最近の教頭は絶対そんなことをしない。そんなことをしたら大問題になる。夏休みでもボランティア勤務やってるんですがね。

庄野 夏休みもそうだけど、普段の日でも、早朝練習やったり、クラブや行事で勤務時間を大幅に超えて遅くまで付き添う教師もけっこういたし今もいるけど、あれって基本的にボランティアだから公的でない場合は申請しにくいんですよ。いちいち面倒だし、可愛い生徒のためなんだからまあいいかと納得してほとんどの先生は文句いわずに遅くまでやってますよ。まあ、あれは昔から教師の仕事の一環なんだと。 

国方 たいていの教師はボランティア感覚で熱心にやってて、あれは昔も今もまったく同じですね。休むと他の教師に迷惑をかけるのでめったに休めない。だったらそれと引き換えに自宅研修を認めろとなるけど、最近ではそれも難しいみたいです。

多田 自宅研修の問題は大きいですね。夏休みの自宅研修が昔のように認められなくなってきたのと同様に普段の勤務でも駄目になってきてます。勤務時間の五時頃まで職場にいろということで、家で勉強したかったら有休出せと。まあ当然といえば当然で、有休出せばいいだけなんですが。

庄野 地域や学校によって違うみたいだけどだいたいはそうですね。昔の校長は暗黙のうちに教師の自宅研修を認めていたけど最近の校長は管理権をふりかざして、夏休みの自宅研修を認めるにしても、レポートを書かせて休み明けに会議室で研究発表しろとかいうようになってきた。つまり実質自宅研修を認めないという姿勢をとるようになってきたんです。レポートを提出して研究発表すればそれで通るだろうけど、そうまでして自宅研修しようという教師はまずいない。 

多田 管理職の立場からすると、さぼってないならちゃんと証拠を出せということでしょう。夏休みも給料いただいているので筋といえば筋ですが。民間と比較すると、どうしてもそうなっちゃう。最近では有休を使いたくない多くの教師は生徒のいない夏休みにも出勤してます。  

国方 昔夏休みに山にこもって座禅を一週間やってた教師がいて、その人はずっとそうやってやってきたんだけど、ある年から校長が変わってゆるい自宅研修をいっさい認めなくなった。プライドの高いその教師は馬鹿馬鹿しいから意地でも研修レポートを提出しなかったし、研究発表もしなかったので、九月から有給休暇が完全になくなってしまった。

多田 でも、それって一種の甘えですね。本当にやったのならレポートを提出すればよかったんじゃないですか。私なら書類作って校長に提出します。

庄野 私もやるね。座禅だったら最初は呼吸法の鍛錬で、それが三日続き、四日目からは瞑想の段階だとかなんとか適当にレポート書けばいいことで、そんなもの発表しても誰もわからないでしょう。彼はきっと真面目な人だったんですよ。自分をごまかせないというかプライドが異常に高いというか。

多田 だんだん教師の仕事も窮屈になってきてますが、まあしかし民間の会社に比べたらまだまだ楽ですよ。だってノルマがないんだもん。贅沢いっちゃいけないと思います。ノルマがなくて人並みの給料もらえるんだから。

庄野 ところで高校教師は小中に比べたらまだましだよね。

国方 高校だとある程度大人になってるから楽といえば楽です。公立の小中は義務教育だから最終判定で落とせないし、ガキは教えるのが面倒だから高校がいいと誰もが思う。事実、採用試験を受けて中学教師から高校教師になる人はけっこういるけど、高校教師がわざわざ中学教師になるケースは滅多にないですね。

庄野 だけど楽かどうかでいうならそこそこステータスがある大学教師のほうがずっといい。ところが大学の先生になるのは大変で、オープンじゃないというか、採用試験がいっさいないので、つまりコネと主観で採用されるから誰もがなれるわけではない。

国方 大学教師は面倒な当番や顧問付添いや担任や分掌などは基本的にないし、あっても全然たいしたことないし、学生に好き勝手なこと教えて、しかも休み放題で、補習もないし、ほんとうらやましい。しかしこれは自分が大学生だったときの教授や講師や助手の印象で、実際に大学の先生をやったことがないので無責任なことはいえないんですが、外からはそのように見えます。適当なことやって、楽してて、うらやましいというのが世間一般の気持ちでしょう。もちろん、ものすごい研究を昼夜されてる大学の先生もいるとは思いますが。

庄野 多田先生はどうして大学に残らなかったんですか。せっかく大学院に入ってたのに。

多田 大学の先生になってのんびりしたかったんですが、院で勉強しなかったもんでていよく断られました。偉い先生について徒弟奉公しててもよかったんですが、仮に残ってもポストの空きが殆どなくて、その上結婚してたんで、あのまま学業を続けるのは不可能でした。その点、高校の先生になるのは大学と違ってコネじゃなくて年に一度の一発勝負で、採用試験さえ受かれば誰でもいきなり教諭になれて人並みの給料もらえますから、手っ取り早くて、その点は非常によかった。

庄野 確かに、大学のポストは極端に少ないから誰でもなれるわけではないし、なれたとしたらラッキーだと思わないといけない。

多田 かなりラッキーです。

国方 大学の先生は昔も今も象牙の塔にいて、世間一般と違うというか、偉いというか、独特の雰囲気はありますね。なれたら儲けものという感じ。

多田 でも正直な話、大学の先生って本とか出してすごいと思ってたんだけど、実際に大学の授業を受けて思ったことは、ほんの数人を除いて、こちらの理解力が乏しいというのもあったんでしょうが、なんかねえという印象でしたね。先生には失礼だけど、正直なところそうでした。なぜもう少しわかりやすい授業をしないのか不思議で、わざとわかりにくくしているのではないかとさえ思ったこともありました。だから眠気を抑えるのがせいいっぱいで、授業から受けるインパクトという点では高校教師のほうがはるかにありましたね。高校段階では生徒にわからせてなんぼの商売だから当然といえば当然で、その点大学の先生は研究主体で、授業なんかどうでもいいという雰囲気で、まあそれはわかるんだけど、休講もやたら多くて、学生は結局自分でやるしかないんだという感じでした。

国方 最高学府である大学の勉強は学生が自主的にやるもので、いまさらそんなこといってもねえという感じかな。

庄野 でもあれだよね、社会に出るのが嫌いで、大学に残って何年もしこしこやって、待てど暮らせど希望するポストがないと性格が歪むよなあ。

多田 やっぱりそうなっちゃいますか。

国方 あ、それわかります。私の大学時代に卒論を指導してくれたベテランの助手がいて、その人、朝から晩まで他人の悪口ばかりいってたんですよ。いい先生だったけど五十近くなっても助手で、待てど暮らせど助教授になれず、不平たらたらで、なんで俺より頭の悪いあんなのが助教授なんだ、とかなんとかいって聞くにたえなかった。要するにひがみなんです。ところが幸運なことにその人の受け持つ講座が正式に認められて念願の助教授になった途端、コンプレックスが解消されたのか、人の悪口をいっさいいわなくなった。でも彼はいいほうで、大学では助手になれただけでもうけもので、たいていは助手にさえなれない。じゃあ非常勤でもやるかといっても非常勤講師の口も驚くほど少ない。

庄野 でも非常勤講師なんてボランティアみたいなもんで、年金や雇用保険や住宅手当や期末手当なんかないし、経費はほとんど自分持ち。つまり完全に使い捨て。日本の大学の授業のかなりの部分は使い捨ての非常勤講師でもってるみたいだけど。

多田 時給も低いですし。

庄野 時給は家庭教師やるのと変わんないですね。下手したら家庭教師より低い。大学の非常勤講師なんて、週一回一コマ九十分で月二万から三万程度。家庭教師なら週一回で自分の場合は月三万五千円もらってたことがあります。当然非常勤だけでは生活できず、親と同居したりして、まともに結婚なんかできない。三十代四十代なんていいほうで、五十すぎて非常勤講師かけもちやってたりね。 

多田 でもそんな非常勤の口もなかなかないんです。大学だけじゃなく高校でもコネがないと非常勤講師の口もすんなりと決まらない。高校の場合は教育委員会に行って講師登録して待ってれば校長から電話がかかってくるみたいですが、実際はほとんどかかってこないみたいです。稀にかかってきてもとんでもない条件だったりする。通勤二時間で、おまけに夜間勤務で、二科目以上教えてくださいとかね。だけど大学の非常勤講師にはそんな登録制度さえないからますます難しい。

国方 ぶっちゃけた話、自分のことでなんですが、定年になってからも教えたいから非常勤でもと思って教育委員会に行って講師登録したんですが、待てど暮らせど電話がかかってこなかったんです。教諭のときは非常勤なんてのは割に合わない仕事だから、校長が必死になって探し回ってて、電話がじゃんじゃんかかってくるだろうって思ってましたけど、実際には登録期間の二年間どこからもかかってきませんでした。

多田 実際は高校程度の非常勤もほとんどコネなんですよ。つまり校長レベルじゃなく、その教科の先生が知り合いの人に依頼するとかね。校長は時間が不足する場合、まず当該教科に頼むからどうしてもそうなるみたいです。すると採用試験に落ち続けて非常勤やるしかない哀れな若者とか知り合いで退職された先生とかに真っ先に頼むことになり、友達がいなくて横のつながりのない、つまりコネのない人間には仕事はまずまわってきません。

国方 そういや高校の非常勤程度の仕事でも金品授受があって問題になったことがあったでしょう。コネがないとあそこまでやるのかと。あそこまでしてあんな割に合わない仕事をしたいのかと皆驚いてました。

多田 それは教諭という特権的な立場だからいえることで、立場をかえてみれば、非常勤や常勤講師にとって教諭は高嶺の花なんですよ。彼らは講師職で食いつないで難しい採用試験に合格して教諭になりたいと常日頃思ってて、講師をやってるってことは仕事と勉強が両立できますから有利なんです。彼らの切実さは教諭の立場を離れてみてはじめてわかるんじゃないですか。

国方 たしかにそうかも。私自身、実際に教諭を退職して、どんな仕事でもいいけど、できれば教育関係の仕事をしようとほうぼうかけずりまわったんですが、コネがない自分にはどんな仕事もまわってこなかったんです。愕然として、世の中を甘く見ていたと思い知らされました。

教諭でなくなるっていうのは仕事がないことで、やりたくても仕事がない完全失業者になってるんで、ハローワークへ行っても年齢とかでほとんど仕事はないし、そこから学校をあらためて眺めて見ると、かなりめぐまれた職場だと思いましたね。好き勝手なことをいって税金から給料をいただける。贅沢いっちゃばちがあたると思いました。だからそのときにコネの有り難さを見にしみて感じたんです。コネというのはすごいことでコネがあるだけでどんどん仕事がみつかる。私の同僚は性格もよくて、私と違って社交的でいっぱいコネを持っていたので、退職するやいなや進学校の非常勤講師になれて、かけもちで楽しくやってました。

多田 コネというのは一種の才能だと思います。素晴らしい才能だと。だからコネに感謝しないといけないんです。コネを作るっていうのも常日頃の努力ですから。コネがない個人主義的な人は人間関係がないということで、そんな人はすごく努力して試験に通って公的に採用されるか自力で職を得るしかない。いくら努力しても門前払いというか、コネでしか採用されないことも世の中にはいっぱいあります。コネのすごさは失業体験した自分が身にしみて感じたことで、普通に人並みの仕事がいただけるというだけで感謝しないといけないと思うようになりました。

国方 ところが、コネで採用されたくせに傲慢になる人もけっこういるんです。昔うちの大学のOBで非常勤講師にコネで採用された人がいて、その人はマスコミで有名になった人で、面白そうだったんで彼の講義に出てたことがあるんですが、その人まったくやる気がなくて、しょっちゅう休んでました。で、たまに授業やるんですが、待遇についてぼやいてばかりいて、肝心の授業は何やったのか全然覚えてないんです。その人の口癖は「非常勤講師なんてお茶代にもならねえ」でしたね。彼は学生に受けると思って軽い気持ちでそのフレーズを連発してたんでしょうが、毎度聞かされる我々は完全にしらけてました。非常勤講師の報酬は確かに低いけど、そんなに嫌なら引き受けなければいいと思うんですが。

多田 大学の場合は小中高と違ってどんな大学でも非常勤講師やってますとかいったら賢そうにみえますから、銭金の問題じゃないんです。大学ともなると箔がつくというか、学者のイメージがあるので全然悪くない。履歴書にも堂々と書けますしね。どんなレベルの大学、短大でもいいんです。なんとか大学で非常勤やってました、なんて書くと賢そうに世間の人は見てくれますから。

国方 もちろん幻想なんだろうけど。

多田 幻想も世の中を渡るには役に立つと。

国方 大学教師という職はそれだけ魅力がある。

庄野 ということで、会社員になりたくない、というか、組織の中で人と付き合うのが苦手な学生は院を出たくないから必至になる。院でしこしこやってたら金なんかどうでもよくなって、妄執みたいになってくる。

国方 たしかに四十や五十で新入社員じゃしゃれにもならない。新人研修で、頭の禿げた五十路のじいさんが二十代の若い指導員に頭を下げるのは実にみっともない。だから象牙の塔の中でなんとしても終わりたい。ぼろ雑巾みたいな非常勤講師でもなんでもいいから引き受けて認められたい。だけど、どうあがいてもなかなか希望する職はまわってこない。そこで大学で徒弟奉公して歯を食いしばっていい話を待ち続ける。薄給の非常勤講師でも大学の名前がつきますからね。多田先生がいうようにどんな大学や短大でも大学と名がつけばいちおうステータスになって、世間体はいいんです。

庄野 院生なんてお師匠さんに仕える新人芸人と同じですよ。芸人なんてテレビに出てなんぼの世界でしょ。テレビに出たら世間の人は評価する。師匠のコネさえあればテレビに出してもらえるんだから師匠のいうことは無理難題でも引き受ける。本当かどうかわかりませんが、俺のうんこ食べたらテレビに出してやるとかいわれて実際にうんこ食べた芸人もいたぐらいですから。

多田 それはちょっと喩えとしては不適切ですが、確かにオーバードクターは目立ちましたね。

国方 でもそれって、組織に入ってぺこぺこして働きたくないということでしょう。結局社会に出たくないだけ。きついこといえば、根なし草、デラシネというか、一種の怠け者ですよね。いい年して金も地位もないから生活は当然苦しい。実際、大学の研究室に行くと、こんないい方は失礼なんですが、ホームレスみたいなオーバードクターがごろごろいました。

多田 奥さんに食べさせてもらったり、居酒屋や麻雀屋でバイトしてたり、ギターが趣味で、バンドで食ってる先輩とかもいました。生活できませんから。

国方 そういや、めちゃくちゃ麻雀が好きなオーバードクターがいて、その人はすごい麻雀だこができてましたからすごい腕前だったと思います。

庄野 なんか切実でしたね。そういうのは普通は嫌ですよね。かっこ悪いし。だからまともな学生は大学に残らないのかもしれない。

多田 私はだからまともじゃなかった。

庄野 いやいやそういう意味じゃなくて。

多田 わかってます。ただ私の場合は就職したくてもできなかった。

国方 それはどういう意味。

多田 学部が農学部の林学科で大学院は文学部の印度哲学科でしたから。つまり世の中の役に立たないところばかりを選んできましたから就職がかなりハードだったということです。林学科は山歩きばかりしてるイメージで、農芸化学なんかと違って虚業ですからめぼしいところから就職案内はまったく来ませんでした。まあでも印度哲学と比べるとはるかにましで、印度哲学の院生のレベルになるとまず就職は不可能でしたね。なんてったって虚業中の虚業ですから。企業の人事部にしてみたら、この人はものすごい変わり者でとても採用できないと思うのが普通で、私が人事部長でも印度哲学の院生なんかとらないですよ。私の知人で経済学部の学生がいて、彼のところには段ボールいっぱいの就職案内が来て一部上場の大企業に就職できたんですが、私のところには一通もきませんでした。院を修了したところで肝心の働き口が全然ないので、仕方なく在学中から毎日喫茶店で新聞の求人広告をむさぼるように見てましたね。最初に入った不動産屋もその後のマーケティングリサーチの会社も新聞広告を見て入りました。実はその前に新聞広告で、ちょっと名の知れた、といっても大手の下請けみたいな会社なんですが、そういう会社を何社も受けたんですが、けっこうな競争率で、入社試験にたまたま通っても興信所を使った家庭調査で落とされたり、さんざんなめにあいました。試験に受かっても最終決定は家庭調査次第ですと試験官が公言するような時代でしたからね。今そんなこというと大問題になりますが、昭和四十年代はごく普通でした。当時は夫婦仲が悪くて別居状態で、近所づきあいも悪かったので、いいところは次々に落とされて、仕方ないので近所にあった工場の面接をいくつか受けたんですが、うちの仕事は大学院出がやるような仕事じゃないとかいわれて全部断られました。

国方 そこんところが庄野先生や私とは違うところで、我々は一度も会社員を体験してないんです。高校教師と決めてましたから。

多田 お二人とも院に残る気はなかったんですか。

国方 勉強なんかしたくなかったからね。もういいやと。

多田 いさぎよいですね。先生方のようなまともな学生は最初から未練がない。私なんかはうまくいけば大学に残って楽しようという助平根性がありましたからバチがあたったんです。とにかく自由気ままな生活が好きで、組織の中で縛られるのが大嫌いでしたから会社員にはなりたくなかった。そこで学部では人気のない林学科を選び大学院では奇人変人の行く印度哲学をわざわざ選んで、田舎の大学教師にでもなってのんびり暮らしていこうと考えてたんですが、しかし大学に残れずに、結婚もしてたんで、金が底をついて働かざるをえない状況になってて、会社員になろうと決心したときは時すでに遅しで、ろくなのが残ってなかった。新卒じゃないし、年もくってるし、しかもまったく社会の役に立たない印度哲学科の大学院を出てましたから当然といえば当然です。自業自得ですが、洒落にもなんなかったですね。

庄野 多田先生が就職したのはいつ頃ですか。 

多田 不動産屋に就職したのが昭和四十九年で、その後マーケティングリサーチの会社に入り、教師になったのは昭和五十二年です。今考えれば最初からすぱっと就職したほうがよかったような気もしますね。そのほうがお金も稼げたし。

庄野 あの頃も就職はきつかった。 

多田 私みたいなあまのじゃくな経歴では大企業なんて夢のまた夢で、何度もいうようですが、近所の喫茶店でモーニング食べながら、朝日新聞とか読売新聞とかスポーツ新聞とかの求人広告を毎日むさぼるようにチェックしてました。まれに給料がよくて名の知れた会社を発見することがあって、そういうときは電話かけまくってましたが全部駄目でした。新聞の求人広告では解体作業員とか不動産屋の営業とか配送員とか長距離トラック運転手とか調理師見習とかパチンコ屋の住込み従業員とかそんなきつそうな職種ばかりで、いいと思っても有資格者や経験者に限るとか、新卒限定とか年齢制限があったりとかで、ほんとブルーな日々でした。ところがいよいよ金もなくなって生活できなくなったので、観念して不動産屋に就職したんですが、月々の営業ノルマがきつくってすぐに嫌になり、転職しようと仕事の合間に新聞の求人広告で職探してました。不動産屋は売り上げゼロだと歩合がつかず、固定給七万しかなく、そこから一Kのアパートの家賃と車のガソリン代と光熱費と食費などを差し引くと毎月赤字でした。ですからマーケティングリサーチの会社が私のような畑違いの人間をよく拾ってくれたと感謝してます。入社してから別居状態が解消され子供が生まれたんで、週休二日で手取り十五万でボーナスも少々あってずいぶん助かりました。あの会社に就職できてなかったらあれからどうなってたのか想像もつきません。

国方 昭和五十年前後で手取り十五万は悪くないですね。

多田 あの会社の社長さんはたまたま仏教に興味のある人で、それで面白がって採用してくれたと思います。ありがたかったです。もし社長が普通の人だったらあまのじゃくな印度哲学の修士なんてとらず、経済学部とか法学部出身のまっとうな若手をとるでしょうね。命拾いしました。

国方 仏教のとりもつ縁ですか。

多田 だから大学院みたいな女々しいところに行かず、すぱっと潔く社会に出ていける人は男らしくてうらやましかった。

庄野 こんなこというと叱られますが、まともな学生はすぱっといなくなる、というのはあるかもしれないですね。

多田 そういえば大学の教養課程のクラスメイトでかなり優秀だと思った学生が三人いたんですが、彼らはすべて社会に出てます。大学に残ってる人でも優秀な人はいるんでしょうが、当時の大学の教授が「見込みのある学生に限って大学に残らない」と嘆いていたのをはっきり覚えています。

国方 それはいちがいにいえないというか、文系と理系では違うんじゃないですか。理系の人で超優秀な人は大学に残って結果を残してますよ。誰が見てもかなわねえという感じの人もいました。 

庄野 たしかに高校のクラスメートで数学の天才みたいなのがいて、彼は「大学への数学」で高校一年のときからずっと満点とってて、高校の数学の先生も彼に質問してたほどで、当然超難関大学にも一発で通り、とんとん拍子に出世してその大学の数学科の教授になってインターネットでもどんどん名前が出てきますから、彼なんかはなるべくしてなったという感じだけど、それに対して文科系はどんな基準で評価されるのか皆目わかんない。簡単にいうと、語学か思想か、そこんところがよくわからない。主観というか、きわめてあいまいじゃないですか。それからテレビに出てて有名だから客寄せパンダで教授にしようとかね。だからほとんどが広い意味のコネで先生になってますね。理科系と違い頭脳明晰かどうかで選ばれるわけじゃないですから。

多田 頭脳明晰な方もいらっしゃると思いますが。

庄野 理科系だとこたえがあるけど文科系だとそんなものはないですからそこんところがわかりにくいんでしょうね。思想とかいっても偉い人の解説者みたいになってたりして、けっこう受け売りも多い。語学からしこしこやってたら独創的なものを構築する時間がないのかもしれないし。だからどうしても独創性があって心に響く人は在野の人になりますね。変にかっこつけませんから。普通の勤め人だったり、物書きだったり、記者だったり、役人だったり、家にひきこもって研究してたり、大道芸やってたり、漫画書いてたり、喫茶店やってたり、その他いろんな分野でしこしこやってる人のほうがずっと面白い。テレビ討論見てるとわかるんですよ。文系の大学の先生は喋るのが下手というか、馬鹿にみられるのを避けて慎重すぎるというか、世間でもまれた経験がないのであたりさわりのない意見をいうだけで、記者や政治家や官僚等の民間で働いている人間に完全に馬鹿にされてる。世の中に出た経験がなくて素人というか、迫力に欠けるというか、心にしみないというか、討論ではまったく駄目なのがはっきりとわかりますね。

国方 結局、大学に残ってしこしこやってるというのはネガティブな動機だけなのかなあ。社会に出たくないから大学に残ってるだけ。おたくの巣窟みたいですね。

多田 そこまでいうといいすぎですが、そういう面もありました。私もしこしこわけのわからんことを大学でやりたかったのは事実ですから。失敗しましたが。

国方 ところで、多田先生はいつ教職の勉強してたんですか。

多田 本を売り歩く営業はしんどかったけど、半面自由なところがあって、会社に電話一本入れとけば現場から直で帰ることもできたんで、営業を適当に切り上げて山手線をぐるぐる回りながら教職の本を読んだり、池袋や新宿や渋谷に営業で行くときは仕事の合間に名曲喫茶でクラシック聴きながら勉強やってました。当時は大きな駅に行くと必ず近くに名曲喫茶があったんですよ。社会科だったんで、さほど勉強しなくてもいけそうな地理で受けることに決めていて、大学受験で使ってた三省堂の「地図中心地理の整理」を丸暗記して、郷里の徳島に近い大阪の採用試験受けたらまぐれで通った。

国方 競争率は?

多田 十倍でした。これははっきり覚えてます。一発でよく通ったと思います。

国方 教師の初任給は?

多田 会社の給料よりは少なかったですね。昭和五十二年で、十万ちょっとかな。当時勤めていた会社の給料はさっきもいいましたように十五万でしたから、二、三万少なかったように思います。

庄野 教師の場合、給料はたいしたことないけど、定年まで我慢すれば人並みの老後がおくれるから損得でいうとやめたら損だと誰でもわかる。

国方 退職金と年金はおいしい。

庄野 だから六十近くなると皆うきうきする。退職金と年金もらえばこっちのもんだと。定年で何も仕事しないっていうのは悪くない。

国方 同感ですね。

 

            教師の生真面目さの弊害

 

多田 さて、いろいろ前置きが長くなりましたが、ここらでそろそろ本題に入りたいと思います。おふたりが職場で体験したことをもとに正直に話していただきたいんですが。

国方 たしかにくたばる前に学校を回顧するのはいいことかもしれない。

庄野 現場では人間関係もあって「本音」は語れませんからね。我々のような退職したロートルだけが「本音」を語ればいいんで、そうすれば現場で頑張っている教師の気分が少しは晴れるかもしれない。教師はマスコミでも責められることが多くて誰も助けてくれませんから。なんだかんだいっても先生方にはお世話になりましたから、私も気分的に楽になってほしいという思いはあるんですよ。気休めかもしれませんが。

国方 鼎談の目的は教師のストレス解消みたいなもんですか。同じようなことを感じてる人がいると確かに気休めになりますから。

多田 それと世間の人にも学校現場を知ってほしいと。

庄野 何いっても免責というのはいいですね。

多田 退職されてますから何いっても大丈夫です。そこでまず学校全体のイメージからおききしたいんです。学校全体といっても、我々が勤めていたのは公立高校の全日制普通科だけなんですが。さて、学校は変わりつつあるといわれてますが、先生方が活躍しておられた昭和四十年代と比較してどうですか。

庄野 構造というか、中身はさほど変わってませんね。

多田 え、そうなんですか。

庄野 表面上は変わったようにみえても中身はほとんど変わってないんじゃないかな。変わってないというのは伝統を守るという意味ではいい面でもあるんですが、硬直化というか、ちょっとどうかなという面もありますね。

多田 硬直化の背景は。 

庄野 根底にあるのは教師の生真面目さです。ところがそれはシステムを守ろうとする生真面目さなんで、だから実質は驚くほど変わらないというか、もっといえば教師の生真面目さとは手続きの生真面目さであって、理念のそれじゃないんですよ。理念をいいだすと波風が立つでしょ。「波風を立てない」というのが学校の基本原則ですから。だから教師は驚くほど理念に弱いというか、外部から理念をたてに切り込んできたら学校現場や教育委員会はお手上げになってしまうんです。ただ教師が理念をどういじったところで教育構造は日本人の無意識に根差したものですからそんなに変わるわけがないし、変えたところでたいてい元に戻ってますから現場の教師はいろいろ考えずに手続きだけを忠実に守り、面倒を避けようとしているようにも見えます。大きく変えようとするのは、ほとんどの場合、外部か外部の意向を受けた内部の人間です。  

国方 生真面目であるというのは全然悪いことじゃないんでしょうが、たしかに学校には何事もきっちりしていないと気が済まないというか、そういう人が多いことは多いですね。

多田 きっちりしている人というのは、具体的にどんな感じかはすぐにはでてこないんですが。

庄野 身近な例で説明します。うちの近所に大通りと細い道が交差する交差点があって、大通りはそこそこ車は走ってますが、大通りと交差する道は道幅が狭くて車がめったに通らないんです。しかしなぜかそんなところに横断歩道のゼブラゾーンと歩行者信号機がある。大通りを走る車は赤信号になると当然止まりますが、歩行者の多くは車が通らず道幅も数歩で渡れる距離だから赤信号でも渡ります。ところが歩行者信号が赤で必ず止まる人がいるんですよ。それは歩行者であったり自転車だったりするんですが、老若男女問わずけっこういます。親子連れもいるし、小学生から高校生までの若者もいる。中にはきっちり黄色で止まる人もいる。イメージでいうとそういう人じゃないですか。じゃ、私はどうだっていうと基本は止まりますが、かなりフレキシブルでして、ケースバイケースで止まったり渡ったりします。仕事柄、止まってる人がいると止まりますけどね。特に警官がいたり、子供が見てたり、まわりに人がいると止まります。

国方 親が子供をしつけるときに赤信号では子供を止まらせますよね。普通の教育熱心な親ならそうします。あれは全然悪いことじゃないと思いますが、犬の条件反射みたいになって大人になっても止まる人がけっこういるんですよ。ただ私もケースバイケースで止まったり渡ったりしますが。

多田 うちの近所にも似たような歩行者信号機があって、車が全然通らない深夜でも止まる人がいるんですよ。ああいうのを見ると、気高いというか、気品があるというか、なんか神々しい感じがしますね。ちゃんとしつけられてるんだって。私も先生方同様ケースバイケースですが。

国方 そういうルールを厳守する人が組織に入ると、下手をすると融通のきかない石部金吉になるということですか。だけど、現実に大雨のときに赤信号で止まってる人がいて、そのとなり自分がいたとしたらどうなりますか。

多田 渡りにくいでしょうね。その人と一緒に青信号まで待つかもしれない。渡るとしたら後ろめたいでしょう。交通ルールを平然と破るんだから。しかしそう考えると教師というのは社会の平均からするとやっぱり生真面目な人が多いですね。暴風の時でも赤信号でちゃんと止まるような人がまわりにもけっこういました。

庄野 僕らはケースバイケースで渡るという教師だから、さほど生真面目でないほうかな。

多田 でもそういう生真面目さというのは教師にとっては必要な部分で、生真面目さをプラスに考えれば、硬直化に向かうのではなく硬直化を是正する方向に向かうと思うんですが。

 

             職員会議の異様な光景

 

庄野 現実にそうなってれば理想ですけどなかなか難しいところがある。物事には光があれば影があるわけで、生真面目さは全然悪いことじゃないけど影の部分もあるんです。特に生真面目な先生方が集まる会議では影の部分が増幅される。

国方 会議では性格がもろに出ますから。

庄野 会議に出てると誰でもわかりますが、会議というのは個々の総和じゃなく、まったく別の有機体になっていて、理性というか屁理屈というか建前というか、そんなもんだけで話が進むから個々の総和を超えたものになっちゃうんです。三人よれば文殊の知恵なんだろうけど、文殊の知恵にならず、あれれと思うことがけっこうありました。

多田 個々の先生方はいたって真面目で、話してみるといい方が多いんですが、職員会議や分掌会議になると少し様子が違ってくるというのはたしかにありましたね。

庄野 性格が変わったんじゃないかと思える人もけっこういました。会議になると急にヒステリックになって、普段の性格からして想像もできないような意見をいったりね。 

多田 普段抑圧している部分が出るというか、うまくいえないんですが、あれはなんなんですか。まあこれは学校だけの問題じゃないんでしょうが。

国方 自分のことでいいますと、根性がひんまがってたのかもしれないけど、会議は最後の最後までなじめなくて、嫌な空間だったという印象しかないんです。もちろん仕事上会議は欠かせませんから嫌々出てましたが、会議の中身というか、そのあたりがどうもね。四十年近く学校の会議に出ていると、会議を斜めに観るというか観客として観るというか、しだいに会議ウォッチャーみたいになっていって、これはひょっとしたら文化人類学の貴重なフィールドワークじゃないかとさえ思うようになって、特に定年近くなって主担を外れてからは完全なウォッチャーになってまして、積極的に関わるんじゃなく、傍観者的に眺めるというか、そんな感じかな。

庄野 ところで今年の春まで現役だった多田先生にききたいんだけど、学校現場の会議は昔より増えてるみたいだけど年間どれぐらいですかね。

多田 いちいち数えたことがないのでざっと思いつくままに計算します。面倒なので年になおすときは夏休みや年度末などは少ないので十をかけて、ひと月を四週と考えて計算していきますと、まず学校で一番重要な職員会議、これは国会みたいなものですが、その職員会議は必ず月に二回木曜放課後に開かれてまして、これが年二十回、職員会議の前に開かれる部長や学年主任や委員長が参加する運営委員会も月曜放課後に開かれますから年二十回、分掌会議は毎週だから年四十回、教科会議も隔週だとして年二十回、さらに時間割に組み込まれた学年の担任会議が毎週一回ありますから年四十回、その他、拡大学年会議、期末考査ごとの成績会議、臨時職員会議、遠足や修学旅行や文化祭や体育祭などの学校行事に関わる会議、生指の臨時会議などの会議もあって、これらが月三回あるとして年に三十回。これらを合計すると、ざっと年百七十回ですが、運営委員会に参加しない教師とか担任のない無坦の人もいるので、平均すると年百三十回前後じゃないですか。週で計算すると、平均的な人で週三回ほど会議がある勘定になります。ところが分掌長とか学年主任になりますともっと回数は増えて、毎日会議漬けになる人もいます。

国方 庄野先生と私は三十七年間働いてきたから、百三十をかけると四千八百回ほど会議に出てたことになる。すごいね。

庄野 で、結局そんな会議というのは、採決まで持ち込む手段というか口実というか、反対意見を抑え込む民主的な手段になっている。

多田 民主主義では多数決で決めないと駄目で、多数決やらないとまわっていきませんからしかたない面もありますが。

庄野 でもね、多数決というのは必要悪な面もあるんで、必要悪とは必要であると同時に悪でもあるということで、だから必要性だけを強調して悪という側面を忘れるととんでもないことになる。多数決とは正しい少数意見を封じ込める悪ともなり得るんだから。つまり半分以上が馬鹿だったら多数決やると必ず馬鹿な決定になるんです。だけどいったん決まったら組織にいる以上は従わないといけない。だから多数決やるんだったら悪だという認識を持たないとまずいことになります。

多田 決定が間違ってたら面倒がらずにすぐに修正すべきだと。

庄野 だけどなかなか修正しないんですよ。面倒だから年度内に修正することはほとんどないでしょう。

国方 多数決に至る過程は実に煩瑣でしたね。

庄野 煩瑣でした。できれば出席したくなかった。退職してるからいえることですが、実は実験したことがあるんです。一年間職員会議を欠席して困るかどうかの実験。五十代はじめの頃だったけど、職員会議を意図的に一年間欠席したことがあります。成績会議と連動してるときは教科主担の義務だから出ましたが、それ以外の職員会議はすべて欠席したんです。校長に呼び出されて注意されましたが、木曜の放課後は用があるとかいって嘘ついて二時間の有休届け出し続けて頑として引っ込めなかった。届け出してるから校長も止められません。

多田 でもそれってまずいんじゃないですか。討議のニュアンスがわからないし、係も急にあてられるだろうし。

庄野 それが全然困らなかったんです。余ったプリントは職員室に山積みされてるんでそれをみたらわかるし、職員室の黒板や掲示板みてもわかる。出席してもほとんど発言しなかったからよけいにそう思いました。

国方 それいっちゃうとそうかもしれないですね。きわめて不謹慎だけど。

多田 ところで、会議の中身になりますが、やたら発言する人とかいますね。

国方 喋るメンバーはだいたい固定されてきますが。

庄野 会議では人間が二種類になると思っていいんです。会議で喋りたくなる人と喋りたくない人と。

多田 喋りたくなる人というのはどういうことですか。

庄野 喋りたくなるといってもなんでも自由に喋るわけじゃないんです。自分の所属する学年や分掌や教科やクラブや、あるいは学校全体のことを考えて、つまり自分個人じゃなくいちおう組織のことを考えて発言するんですが、自己顕示欲じゃないだろうけど、自己顕示欲のように見える人もけっこういました。自分が関わる問題になると喋りたくてうずうずしてくる。

国方 集団とか共同体とかそういうものの火を消さないというか、火が消えそうになるとわざわざ薪を他所から探して持ってくるみたいな、そういう真面目な、あるいは真面目そうに見せたい人とかはたしかにいました。火を消そうとするとお叱りを受けたりね。

庄野 別に共同体維持とかじゃなくて、無意識というか、簡単にいえばひとこと喋りたいだけみたいな人もけっこういて、他の迷惑を顧みずにぺらぺらしゃべる。あれって病的な自己顕示欲のようにも見える。

国方 真っ先に手を挙げる人はけっこういましたね。余計なこというなと皆思ってるのにわざわざ手を挙げて自分の意見を長々とお喋りになる。

多田 それはその人がよかれと思って自分の意見を披露されてるってことじゃないですか。

庄野 そのことが別に悪いんじゃないんです。一般的に意見をいうのは全然悪くない。ただシチュエーションというか、立場というか、そういうものを考えるべきだと。

国方 会議の場というか公的な場ではその人の生真面目な部分がもろにでちゃいますから。いいこといわないといけないという強迫観念みたいなものがあって、自分の信念というか、なんかそんな感じで、日頃思ってることをちゃんといわないといけないと身構えてしまう。

庄野 生真面目さのなせるわざですね。

多田 そのことなんですが、さきほどから何気なく使っている生真面目さというのがまだピンとこないんですよ。生真面目さを定義するとどうなるんですか。

庄野 定義なんかしたことないのでうまく説明できないけど、わかりやすくいえば「建前」が「本音」に優先するという信念を持っていることかな。生真面目の反対が不真面目で、これは「本音」が「建前」に優先するという立場になります。

多田 でも現実の組織を見た場合には「本音」も「建前」も両方必要でしょう。

庄野 どちらか一方ということじゃないんです。どちらか一方だと組織の体をなさないですから。いい組織というのは双方のバランスがとれてるってことで、残念ながら学校の組織というのはバランスがあまりとれてないようにもみえる。

国方 たしかに「建前」が「本音」より大事と考える人は多いですね。そういう人は「本音」を前面に出す人間を嫌います。

多田 タイプ分けは難しいでしょうが、「建前」優先の先生方を分析するとしたらどうなりますか。

庄野 「建前」が「本音」に優先するというのは左翼の考え、組合の考えだと思います。

多田 そんなこというと世間の人は逆だと思うんじゃないですか。

庄野 組合というのは教師の「本音」を体現している組織で、教師が楽しようと作り出した組織じゃないかと思うってことですか。まあそういう面は、賃金とか待遇の面では多分にあるけど、個々の学校現場では逆になってることが多いんです。学校の組合というのはいい意味でも悪い意味でもまっとうな組織なんで、組合を熱心にやるような教師はだいたい生真面目で「建前」に忠実で、学校の旧来の組織を壊すのではなく守ろうとしているようにも見えます。彼らは個人より全体を重んじて原理原則を貫く優等生タイプが多いんで、だから一般教師や管理職の信頼はあつく、分掌リーダーに選ばれてけっこう管理職に登用されてます。

多田 先生得意の赤信号の例でいうとどうなりますか。

庄野 信号が赤になったら絶対止まれということになります。たとえ車が一台も通らなくても止まれと。そんなかたいこといわないで、歩行者信号が赤でも車が一台も通らないんだから自己責任で渡ってもいいじゃないか、てなことをいうと、組合教師の猛反撃にあうはずです。赤信号で止まるのはみんなで決めたルールであり、ルールは守らないといけないと。十中八九そういうでしょう。説得力はあります。

国方 もし渡るところを子供が見てたらどうするんだ、渡ってて万が一事故にまきこまれたらどうするんだ、とかね。そういわれるとなるほどと思います。理路整然と発言するので、会議の場では皆説得されます。ジコチューは絶対駄目なんですよ。根底には世のため人のために働くのが立派な人間なんだという意識がありますから。宗教に近いものがありますね。

多田 宗教でいうなら神の教えを守るということだけど。

国方 神に相当するのはやはり民主主義ですかねえ。討議、つまり話し合うことが善であり、神聖にしておかすべからずという認識。民主主義は話し合うことで深化するという信仰のもとにとにかく何でも話し合う。しかも時間をかければかけるほどいいと考える。その結果、討議を重ねて多数決で決まった結論は神の裁定となり、絶対守らなければならないものになる。

庄野 くだんの車がめったに通らない道の信号でいうと、それが学校の前にあるなら、歩行者信号が赤で生徒が渡ると危険だから誰かが見張ってないといけないとか、見張ってるとき見張りだとわかるように黄色い旗を持てとか、旗より黄色い腕章を巻いたほうがいいとか、その費用はどこから捻出すべきかとか、見張り当番は時間を決めて全員でやるべきだとか、当番表を作るとして誰がそれを作るのかとか、まあそういうのが組合系の教師から延々とくり出されるわけです。

国方 もっといえば向こう側の信号にも教師が交代で立つべきだとか、当番の交代は時間五分前に行くべきだとか、万が一都合でいけなくなって別の人が行くときの公平なルールを作れとか、そんな感じですね。

多田 それから赤信号を無視して渡る生徒をどう指導するかとか。

国方 あ、それがいちばん肝心ですね。ルール違反の生徒は放課後指導になりますが、放課後だとどの部屋がいいのかとか、誰が課題を作るのかとか、生活指導部だけじゃとても無理なので、全体にわりふって当番表を作れとか、そのとき多忙な人はどうするんだとか、それを免除される基準は何だとか、放課後呼び出しても来ない場合はどうするんだとか、ペナルティの課題が不十分だったらどうするんだとか、とにかくいろんな問題が次から次に出てきます。全然来ない生徒に対しては担任が電話するんでしょうが、電話かけて親を呼ぶとして、共稼ぎだと夜しかいないことになり、どうしても親が出ないときはどうするんだとか、内容証明つきの書面を送れとか、まあ出るわ出るわ、よくそんな意見が出るなあと感心しますよ。つまりある一つの枝があると、そこにまた多くの枝が生えて、またその一つの枝から別の枝が出てきますから延々と続くわけです。そしてその枝の一つ一つで必ずもめるんですよ。

多田 その感じわかります。

庄野 結局、話し合いは善であるという認識のもと、ルール作りというか、手続きというか、そういうものが会議のたびごとに延々と出てきて、しまいには何やってんのかわからなくなるんです。どの教師も馬鹿じゃないですから煩雑にしようという意図はないんですが、交通整理が全然できてなくてたいていややこしくなりますね。つまり自分達が何やってるのかという俯瞰がなくて、俯瞰とは本来議長の仕事なんだけど、議長は教師が持ち回りで嫌々やってるだけだから、誰だって面倒は嫌なんで、そこで先例にならうことばかりになって、意見を抑えると嫌われるのでご意見どうぞどうぞということになって、でね、そういう煩雑なこというのが組合の教師なんですよ。

多田 組合の先生だけじゃないでしょうが、組合の先生方が目立つことは事実ですね。論客が多いですから。

庄野 まれに組合の人で、煩雑なやり方に反対する人がいたとすると、その人は組合の中で浮いてしまいます。そのての人はたいてい反主流というか、少数派なんでしょうが。

多田 ただ現実の問題として赤信号を守れという「建前」に反対するのは難しい。赤信号で止まれという「建前」は誰が考えても正しいですから。ケースバイケースというか、そういうものを主張するのはかなり難しいんです。「まあまあ」でいいんじゃないの、なんてこというと、不真面目でいいかげんだと軽蔑されるのがおち。

国方 学校では教師も生徒も不真面目だとかいいかげんだと思われると軽蔑の対象になりますから公の場で「本音」は抑圧しないとまずいんです。

庄野 会議というのはだから「真面目ごっこ」するところでしたね。「本音」を抑えて「建前」で論じ、「建前」で決定する。四十人程度の会議でもそうでした。

多田 「建前」というのは内規や社会通念が前提になってて、逆らえなくなる。

国方 「建前」で押されるとこっちが負けになるので「建前」を否定したかったら別の「建前」をもってくる必要がある。でもそうなるとそれは「本音」をゆがめてしまい、同じ穴のむじなになる。

庄野 ところで、組合員は「建前」が好きなのはわかるんだけど、どうしてそうなんだという疑問が残るんです。ていうか、なぜ組合に入るのかと。

多田 根本的な疑問ですね。なぜあんな高い組合費払ってわざわざ組合員になるのか。組合員になって何のメリットがあるのか。

国方 心理的なメリットはあるでしょう。世のため人のため、職場のみんなのために働くのは正義であるとかたく信じていて、自分は正しいことをやっているという自負があり、それを実践しているという自己満足がある。利己的に考えたらメリットなんかないでしょう。義理で入ってる組合員じゃなくて、組合で一生懸命やってるような人は、他人のために自分の時間が削られるんだから利己的じゃないですよね。

多田 そう考えるといい人達なのかもしれない。

庄野 組合というのは個々の職場の労働者の権利を守るというか、具体的にいうと、賃金や労働条件の改善とか、そんなものが中心になるんでしょうが、でもまあ昔と違って最近の組合はずいぶんおとなしくなりましたよ。おとなしいけど、校長交渉とかでは筋を通してくれる人もいるし、変な人もけっこういるけど、昔と違ってさほど害はないなあ。

 

          職場でしつこく残る「左翼遺伝子」

 

多田 昔は害があったんですか。

庄野 害というか、過激でヒステリックだったからいろいろ問題がありました。組合は管理職だけじゃなく一般教師に対しても意識的無意識的に強要することが多くって、団交して管理職をつるしあげたり、一般教師に対しては職場放棄を求めたり、組合をやめようとしたら分会長が説得に来てやめられなかったり、自分達と雰囲気の違う人間を個人攻撃したり、かなり過激でした。過ぎたるはなお及ばざるがごとしで、熱心なのはわかるけど、度を超すと駄目になるってことです。過激すぎると一般職員は組合を支持しなくなる。

多田 昔は今と違って組合イコール過激な左翼というイメージがあって、左翼の匂いがぷんぷんしてた。

 

 ※平成30年3月19日は47頁まで。あとは気が向けばやりますが一部しか載せません。